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渡辺勘兵衛 (石田家臣) : ウィキペディア日本語版
渡辺勘兵衛 (石田家臣)[わたなべ かんべえ]

渡辺 勘兵衛(わたなべ かんべえ)は、安土桃山時代武将石田氏の家臣。別名で新之丞(しんのじょう)とも書かれ、こちらの表記で書かれることが多い。『佐和山落城記』〔石田三成の家臣で、佐和山城落城時に殉死した山田上野介の孫であり、自身も佐和山落城の現場に居合わせた喜庵が1616年に著したとされる史書。新人物往来社『石田三成のすべて』に全文が収録されているが史料としての検証は不十分と思われる。〕に、石田三成に付き従った家臣の一人としてその名が見られる。同じく渡辺勘兵衛と名乗った渡辺了(わたなべ さとる、1562年 - 1640年)とは別人。
== 略歴 ==
柴田勝家羽柴秀吉から2万石での誘いを受けた豪傑で、他の大名の間でも評価が高い人物であったが、 勘兵衛はそれらの誘いをすべて断った。
しかしその後、秀吉の家臣である石田三成に仕えた。当時、三成は禄高500石の小姓であったので、不思議に思った秀吉が訊ねると、三成は「自分の500石の知行全てを与えた。勘兵衛に自分が100万石取りになった際に10万石を与える約束をして雇った」と話した。三成の大志に感嘆した秀吉が三成自身はどうするのかと問うと、「勘兵衛の家に居候になります」と聞いて大笑したとの話が伝わる。後に、三成が佐和山城主となると、勘兵衛の知行を加増しようとしたが、勘兵衛は「殿が100万石の大名になるまで知行500石のままでいます」と固辞し、500石のままで居続けたという〔以上は『国史美談教訓画蒐』に拠る。〕。
関ヶ原の戦いでは、主君の三成に従い西軍に属する。黒田氏の家臣で勇猛で知られた後藤基次と一騎打ちをする〔『国史画帖大和櫻』に拠る。ただし、『関原軍記大成』は基次と一騎打ちした石田家臣は大橋掃部であるとしている。〕など活躍するが、西軍の敗走に伴って重傷を負い、自害したとされる。自害の際、今生の名残にと三成に会いに行き、勘兵衛の手を取って「そなたの10万石も、夢となってしまった」と嘆く三成に、これまでの恩義に対する感謝を捧げたという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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